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【英会話初心者のイギリス旅】無知だからできた80年代自由旅体験談

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イギリスという国が、まだ「斜陽の国」と呼ばれていた頃。ロンドンでパンクファッションが炸裂していた、80年代。

その頃のイギリス旅は今よりずっと不便でしたが、「いかにもイギリス」らしさに溢れていました。

 

こんにちは、まのん@ManonYoshinoです。

インターネットも携帯電話もなかった時代(といっても、そんなにものすごい昔でもない。。。)、旅行の頼りは市販のガイドブックのみ。生の情報は、現地に行ってから、駅やツーリストインフォメーションで入手するのです。

だから、団体のツアーではない個人旅行は何が起こるかわからない! 小さな失敗や、大ボケを繰り返しながら、それでもその後の人生の歩み方を変えてしまう大きな経験になりました。

この記事では、80年代に旅したイギリスについて、無知だったからこその自由さと感激を思い出しつつご紹介します。

 

イギリス80年代自由旅

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最近思うのですが、いろいろ世の中のことや人間関係など、どんどん積み重ねて経験を積んでくると、自由って本当に制限されていきます。

物事の予想がある程度ついてしまう。

自分の限界も知ってしまう。

ついつい心地良いほう、安全なほうへと流されてしまう。

 

イギリスに初めて旅した80年代半ばの頃。まだ学生で、お金もなく、英語力もなく、ただ時間と好奇心だけが豊富にありました。

情報が少なかった時代だからこそ、イギリスに到着した時、正に自分自身がまっさらなスケッチブック状態。かの地では見るもの聞くものすべてが珍しく、毎日が新鮮でした。

イギリスも、英語も、世界も、知らなかったから面白かったんですね。そして、自由だったんですね。

無知だからこその自由な旅

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行き当たりばったりでもなんとかなる

「【英会話初心者のディープなイギリス体験】無謀で自由な80年代の旅」でご紹介したように、ほぼ、「その日その日でいきあたりばったり旅」をした筆者たち。

有名な景勝地、湖水地方に行こうとして、あまりにもいきあたりばったりのラテンな旅だったので行けずにスコットランドまで行ってしまいました。

ブリットレイルパスという、特急電車も乗り降り自由の14日間パスを持っているということで、ものすごく気分的に楽で、自由。プラットフォームで見かけた電車にさっと飛び乗って、電車が連れて行ってくれる先を訪問してみる、ということも可能。

ウェールズ地方のカーディフに2泊した時も、午前中にカーディフ城を見学し、午後は「ウェールズっぽいところに行きたいねえ」などと言って駅に向かいました。

でも「ウェールズっぽいところ」は交通の便ももちろんイマイチで、思い立って急に午後だけ訪問なんてできそうもありません。

そんなとき、目に付いたのが乗り心地の良さそうな特急電車。

「あれ乗っちゃおうか。どこか途中で降りてもいいし」

と、乗ってしまったのはロンドン行き特急。途中の景色も美しく、毎日の強行軍で疲れていたのもあり、乗り心地のよいシートに身を委ねたら降りるのが億劫に。。。

結局、ウェールズに泊まりながら、その貴重な1日のうち半日を単なるロンドン往復に使ってしまいました。ただただ電車に座って景色を楽しむ午後。ちょっと優雅で面白かったですよ。

無知だから大変な思いもする

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ガイドブックの地図と「行き方情報」、それにブリットレイス(イギリス国鉄)パスでもらった国鉄地図。これらが旅のナビゲーター。

フェリー行き交うドーバーから、ローカル線をトコトコのりついで、アシュフォード(Ashford)、ライ(Rye)、ヘイスティングス(Hastings)、イーストボーン(Eastbourne)など有名どころを通り、ブライトン(Brighton)へ。

現在の時刻表で調べたら、このルート、所要時間は3時間ほどです。

電車の窓からケントの美しい田舎やサセックスの丘陵、時々現れる古いノルマン風の古城など、風景を見ているだけで十分楽しめるルートです。

ケント海岸線をブライトンへ

で、ブライトン。

海辺のリゾートは3月の冷たい雨が無情にしとしと。まとわりつくような、雨。駅周辺にツーリストインフォメーションは見当たらず。

「ビーチの方に向かっていったら絶対 B&B あるよね」

と二人で話し、石畳の道を大きなスーツケースをガラガラさせながら海を目指して歩き出しました。

予約なしの宿探し難航

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でもね、こういう時に限って、宿が見つからない! あっても、高級ホテルだったり、B&Bには「No Vacancy(空室なし)」のサインが。。。

いくつかの B&B を訪ねた後、もう背に腹は代えられない!と予算をかなり上回るホテルに泊まることにしました。ホテルと言っても、どう見ても個人経営の B&B。今から考えれば、ブライトンとしては格安の宿だったんですけどね。

ヘイスティングスからボディアムへ

ホテルで落ち着く間もなく、その日の予定をこなすため、駅に戻り、来たルートを逆戻り。イーストボーンで電車を乗り換え、ヘイスティングスへ。

ヘイスティングスといえば、世界史の教科書に出てきた、歴史&イギリス大好き人間の筆者にとっては憧れの地! 1066年のノルマンコンクエストの地ですよ。サクソン王を破ってイングランドを征服したノルマンディー公ウィリアムが上陸したと言われるぺヴェンシー(Pevency)も電車で通過しました。

ここまでは、「歴史を辿る旅」で美しいストーリーなんですが、やはり無計画珍道中なので美しく展開しないんです。

ドーバー城で古城に絶大な魅力を感じていたので、ぜひとも訪れたかったのがボディアム城。

 

引き続き雨が降るなか、ヘイスティングスの街に出てバス乗り場を探します。ガイドブックには、ボディアム城に行くにはヘイスティングスよりバスと出ていたので、その情報が頼り。

ようやく「Bodiam」の名前が時刻表に乗ったバス乗り場を発見。

うんと待ち時間があったので、近くの食堂(レストランとかではなくて食堂)で時間を潰し、ようやくバスに乗り込んだけれど、雨天のためかもう外は薄暗くなっていました。

どんどん田舎に奥深く入り込んでいくような道で、美しい田園風景なんかどうでもいいくらい、とても不安でした。

お城、もう閉まってました

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そしてようやくたどり着いた村、ボディアム。

おお、バス停横にはパブがあり、その名も「Castle Inn(キャッスル・イン)」。イギリス式にいうとカーソウ・イン? それにしても薄暗い。それにしても寂れている。。。。

Castle の看板通りに歩くと、すぐそこに中世の世界が。。。(上の写真)白馬に乗った王子様がやってきそうです。でも、誰もいない。。。。

そう、お城の拝観時間は終わっていたんです。

長い時間をかけて、このためだけに費やした午後だったのに、拝観時間終了!

帰りのヘイスティングス行き最終バスまでの時間、お城の周辺を回って写真を撮ったりしましたが、またこの最終バスが遅れに遅れてなかなか来なかったんです。とっても不安でした。

まとめ

80年代の海外旅行は、まだまだ情報があまりなかったと思います。海外に旅行に行く人の大半は団体旅行を利用していたのではなかったでしょうか。

自由旅行に飛び出す若い世代は、自分たちの思いやイメージを頼りに旅をしていました。自由だけど、無知。だから失敗もするわけですね。

でも、小さなたくさんの失敗や恥ずかしい思い出は、そのまま大切な宝物になりました。

よろしければこの続き「【イギリス80年代アナログ旅】国際線の旅行は超不便&驚きだらけ!」もお付き合いくださいね!

 

 

ABOUT ME
吉野まのん@英語生活
英語で暮らし、フランス語に悩み、日本語教育にも頭を抱えるヨーロッパ在住の昭和組。受験英語は超苦手だったのに「言葉としての英語」に惹かれ卒業後はイギリスに。カナダ・アメリカ・東京で長年働いたのち、ヨーロッパ移住。英語や外国語に関することや仕事のこと、外国生活のあれやこれやを発信中。

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