海外に住んでいても日本のテレビが楽しめたり、ビデオ通話で家族や友達とつながれたりしますよね。
これって、少し前までは「遠い未来の話」だったって本当?
はい、本当です。
こんにちは、まのん(@ManonYoshino)です。
「未来の世界では、外国の人とテレビ電話で顔を見ながら話せるかも!」
なーんて昭和の子供たちは、未来の夢を語りました。
小さくて薄い板のような電話(=スマホ)で、行きたい場所への行き方がわかったり、テレビ電話ができたり、動画や写真まで撮れちゃうなんてちょっと前まではあり得ないことだったんですよね。
Z世代の子どもたちなら、
「スマホなしで、昭和の人はどうやって生きていたのか想像できなーい!」
と言うでしょう。
80年代後半以降、コンスタントに外国と関わってきて、振り返ってみると本当に「別の世界」と言えるくらい隔世の感があります。
自分自身への備忘録的な意味でも、いちど「何がどう変わったのか」をまとめてみようと思いました。
この記事では、
ごく普通の日本人の海外生活環境の移り変わりを
80年代から10年ごとに区切ってご紹介
していきます。
よろしかったらぜひおつきあいください!
目次
日本人の海外生活、どれくらい変わったのか?
今、ワーキングホリデーや留学で海外に渡航する世代の人たちは、
● どこでもネットがつながる
● ネット経由で国際通話はほぼ無料
● 日本の友達や家族といつでもチャットで会話
● スマホでなんでも検索
● なんなら外国語もスマホ一つで即翻訳
が当たり前。
日本人の海外生活は本当に便利になりました。決死の覚悟で海外留学、なんていう時代は前世紀の遺物です。
でも具体的に、以前のどんな状態から、今どう変わったのでしょうか。
海外に住む日本人は増えている?減っている?
海外ノマド生活を楽しみつつ、ネット経由ビジネスを展開したり、動画を配信したりしている人たち。
なんとなく「外国といえども、気軽に行けて、気軽に住める」感覚になります。
現実に統計を見てみると、80年代以降、ぐんぐん増えた海外在住日本人数でしたが、2019年をピークに減少しています。
これは、言わずと知れたコロナ禍の影響が引き金でしょう。
テレワークの概念が世界的に定着し、オンラインミーティングが増えたことで海外出張数も減少しました。
コロナ禍がやっと落ち着いたかと思った矢先に、ロシアのウクライナ侵攻の影響で今度は世界的なエネルギー問題が…。
原油高による航空運賃の高騰と、現在の円安によって「海外になかなか行けなくなった…」という日本人は少なくないでしょう。
それは数字に表れており、コロナ禍以降、留学・駐在などの長期滞在者は減少を続けています。
でも、一方で永住者は増え続けているんですよね。
「海外のほうが暮らしやすい」と考える人が増えた、ということでしょうか。
海外在住者の生活で大きく変わったこととは?
海外在住の日本人の生活で、ここ数十年で最も大きく変わったこと。
それは、やはり先にお伝えした、通信環境が大きく整った、が1番の大きな変化ではないでしょうか。
おかげで自分の母国語で、最新の情報を入手することが可能になりました。
世界中どこにいても、ネット環境さえ整っていれば日本の家族や友達といつでも連絡を取り合えます。
日本のテレビ番組だってフォローできます。
また、日本や日本文化への世界の理解度がぐんと深まったという点もあげられます。
単なる東洋趣味の一つとして珍しがられていた頃と比べ、日本を深く理解しようとしている人たちと多く出会うようになりました。
次の項から、80年代から断続的に外国で暮らした個人的な経験をもとに、年代別の変化をご紹介していきたいと思います。
海外生活、80年代はこうだった!
80年代というと、日本がとても元気だった頃。
アイドルブームあり、女子大生ブームあり、経済も上向きで前途洋々と言う感じ。
個人の海外旅行も増え、庶民でも海外留学の夢に手が届くようになった時代でもあります。
日本からの海外アクセス
70年代の終盤に、日本の主要国際空港として成田空港の運用が開始されました。80年代は、日本人にとって海外がぐんと近くなったように思います。
大学生でも「がんばればアメリカやヨーロッパ旅行に行ける」ようになった時代です。
日本からヨーロッパまでは、まだアラスカのアンカレッジを経由していくのが一般的でした。
ギャップイヤーで海外語学留学をする学生などは、1年オープンの南回り航空券で渡航していたんですね。
成田から香港、香港から中東の都市、そこからさらに飛んでロンドンやパリへという長旅をするのが学生の貧乏旅行の定番でした。
渡航費用と為替レート
航空券はどのくらいの値段だったでしょうか。
40年前で、格安航空券でのロンドン往復、20万円くらいは払ったように記憶しています。
物価は当時と比べるとだいぶ上昇していますので、その当時の航空券は格安といえどもかなりのお値段でしたよね。
また為替レートも、日本円は今の円安よりもさらにずっとずっと安かったんですよ。
現在、イギリスのポンドは160〜170円台。
80年代半ばの為替レートだと、イギリス・ポンドはなんと300円超。
でもイギリス現地での物価は、日本よりずっと安く感じましたね。
80年代の在外日本人を取り巻く環境
80年代に実際に自分が経験したのは、イギリスとカナダでの生活。
イギリスでは学生で、お金の苦労もなかったので伸び伸びと生活していました。
カナダはワーキングホリデーのビザで渡航。その後、就職先の企業にスポンサーとなってもらって労働許可証を取得して働いていました。
80年代は、語学留学や正規留学が「普通の家庭の子」でも手が届くようになってきた時代です。
大学を1年休学して、語学留学をする学生もちらほら。
社会人として数年働いたあと、自分のお金で留学する大人組もちらほら。
日系企業の海外進出もめざましく、大都市では日系の百貨店やホテル、日本食料品店や日本食レストランが増えていった時代。
日本経済がとても元気で、「どんどん生活が良くなる強気な時代」だった頃です。
ワーキングホリデー
1980年に、日本とオーストラリアの間で「ワーキングホリデー制度」が開設されました。その後、ニュージーランド、カナダと続くわけですが、この「旅行費用をアルバイトで賄いながら長期ステイできる」という魅力的な制度のおかげで、海外生活がそれまでよりもずっと身近になったんですよね。
80年代の在外日本人の暮らし
日本との通信
手紙か国際電話が主な通信手段でした。
まだまだ国際電話料金が高くて、確か1分300円とか?
実家に連絡するときにコレクトコールを使っていたら、「合計で30万円(40年前です!)になった💢」と言われて焦りました。
もちろん携帯電話もなければ、パソコンもありません。
電話は固定電話か公衆電話、待ち合わせした人と全然会えない…なんてこともよくありました。
食生活
まだまだ日本食が世界レベルになっていない時代。
イギリスの田舎町に住んでいた頃は、お醤油くらいは買えましたが、その他の和食材はロンドンの日本食料品店に行かないと手に入りませんでした。
インターネット自体がなかったので、「ネット通販で和食材オーダーしよう」なんていうオプションもなし。
地方にいたら本当に和食が恋しくなり、たまに中華料理を食べて我慢していたという感じでした。
大切にとっておいたインスタントラーメンを友達と分け合って食べた思い出も。
その一方で、日系企業が多く進出しているエリアでは、高級店から庶民的な店までさまざまな日本食レストランがありました。
80年代の前半には、和食といえば「すし」「てんぷら」が主役でしたが、80年代前半になるとラーメンやお好み焼きなどのB級グルメも気軽に楽しめるようになりました。
文化・習慣
テレビは現地の地上波放送を見るのみ。
VHSビデオを再生できるビデオデッキが一般に普及していたので、日本のドラマや映画は、ビデオで観るのが一般的でした。
音楽はまだレコードやカセットテープで聞いていましたね。
そして、80年代は、まだまだ喫煙に対して社会がおおらかだった頃。
電車やバスのなかでも普通にタバコが吸えていました。
学校でも、企業のオフィスでも、分煙化すらされていないところが多かったです。
日本との心理的距離
いったん海外に出てしまうと、日本はとても遠かったですよ。
日本の情報は、友達や家族からの手紙や、オフィスに届く日本の新聞や雑誌から入るものくらいだったので、帰省するとあまりに世の中が変わってしまっていて混乱しました。
「自動改札」をどう通過していいのか戸惑って、友達に大笑いされたこともあります。
まさに、浦島太郎(女性の場合は浦島花子と言った)状態。
海外生活、90年代はこうだった!
日本経済が上り坂にあった80年代から90年代に入ると、「バブルのパーティー騒ぎから一転して暗雲立ち込める」時代になります。
それでもまだまだ日本は元気でした。
若い世代にとっても旅行や留学、ワーキングホリデーなどで、「海外」がそれまでよりずっと身近にありました。
日本からの海外アクセス
東西冷戦の終結で、ロシア上空を飛ぶシベリアルートが解放され、日本からヨーロッパへのアクセスがぐんと良くなりました。
それまで一般的だった、北回りというアラスカ経由の便や、東南アジアや中東を経由する南回りと呼ばれる便と比べると、シベリアルートは飛行時間がぐんと短縮。
11時間〜12時間で欧州主要都市に到着できるようになったのは画期的な出来事。
渡航費用と為替レート
日本円の対米ドル、対英ポンドなど、外貨クロスレートがそれまでとはうんと上がって、渡航費用もリーズナブルに。
海外旅行も、パッケージツアーだけでなく個人旅行という形が浸透したのもこの時期。
それと同時に格安航空券が出回り、「気軽に海外」が可能になったんです。
90年代に暮らしたカナダを例にとってみると、1980年のカナダドルは年平均で194円でしたが、1990年の年平均は124円です。
それが、90年代半ばになるとさらに円高が進んで1995年の年平均は1カナダドルがなんと69円!
いかに日本人にとって、海外が「身近な存在」になったかが、おわかりいただけますよね。
90年代の在外日本人を取り巻く環境
90年代といえば、大きな出来事のひとつが欧州連合(EU)の誕生。
世界が大きく動く、という印象を持ちました。
自分が働いていたカナダはどうかというと、欧州の盛り上がりに比べて経済衰退が問題になっていて、失業率も深刻でした。
在外日本人を取り巻く環境としては、決して悪くはなく、日本への人々の理解も深まってきている印象でした。
日本と海外主要都市を結ぶ直行便が増えるなど、「強い日本」をバックにして日本人であることを心地よく感じていたように思います。
90年代の在外日本人の暮らし
日本との通信
相変わらず、日本との連絡方法はもっぱら電話と手紙。
あとはファックスですかね。
でも国際電話料金が国によって下がってきたので、それまでよりは「大金を費やす」イメージがなくなったと思います。
90年代後半からは、インターネットも携帯電話も普及しはじめましたよね。
自宅にパソコンを持つ人も増え、海外との連絡もEメールを使うように…。ただ、まだインターネットに常時接続して使うタイプのものの登場はもう少しあと。
携帯電話どうしのショートメールサービスもこの頃始まりました。
それでも国際間の通信手段として、まだまだ郵便が重要な役割を果たしていました。
クリスマスカードや年賀状など、プライベートでも仕事でも、一生懸命に書いたものです。
食生活
80年代以降、日本の外食も多様化しましたよね。
世界の料理が、日本にいながらにして楽しめるようになり、90年代は私たち日本人の多くが和食以外の食事に慣れてきた時代です。
海外に行っても、現地の食事をそれなりに楽しむ素地ができていたという感じ。
日本料理がさらに世界で注目をあびており、世界中どこに行っても都市部では和食が食べられました。
文化・習慣
在外日本人にとって90年代の最も大きなポイントは、パーソナルコンピューターとインターネットではないでしょうか。
コンピューターというと、80年代ではまだまだ「電算室に置いてある、専門知識がないと触れない大きな機械」だったんですよね。
それがあっという間にスタッフ一人一台が標準になり、自宅用にもコンピューターを買うのが普通になっていきました。
これは世界共通ですよね。
見た目で操作が簡単にわかる「グラフィカル・ユーザー・インターフェース」が導入され、さらにWindows95がリリースされて以降は「PCなしでは何もできません」状態になりました。
これと同時にインターネットが全世界的に普及。
日本の出来事も、何日も後から来る日本の新聞をまたずともインターネット上のニュースサイトですぐに知ることができるようにました。
そして携帯電話も一気に普及しました。
海外と日本の文化的距離・心理的距離がぐんと縮まったように思います。
海外生活、2000年代はこうだった!
ミレニアムということで、2000年を迎えた瞬間はみんな大なり小なり緊張感を持っていたと思います。
コンピュータが誤作動して、さまざまな障害が起きるとか、ライフラインが止まってしまうとか、いろいろ不安を煽る事前報道がありました。
実際はどうだったかというと、事前にリスクを考えた対策がとられたため、特に大きな問題は起きずに普通に生活は続いて安心したのを覚えています。
ところがホッとしたのも束の間、2001年9月、日本と海外を行き来する人にとってはとても大きな、そして不幸な出来事が起こりました。
アメリカ同時多発テロです。
これによって多くの人の命が無差別に奪われたことは、まだまだ記憶に新しいと思います。
そして、この出来事は、その後の国際往来のシステムをも大きく変えてしまいました。
日本からの海外アクセス
アメリカ同時多発テロ以降、空港の保安検査がとても厳しくなりました。
液体の持ち込みが制限され、保安検査場でのチェック項目が厳しくなり、時間もかかるようになったんですよね。
どんどん厳しくなる検査体制に、空港係官もイライラしていたし、乗客も待ち時間が長くなり、液体や電子機器をいちいち手荷物から取り出したりでイライラしていました。
とはいえ、今から振り返れば、2000年代はもっとも気安く海外に行けた時期、ではなかったかと思います。
格安航空券は本当に格安でしたし、日本円の価値も今よりずっと高かったので、海外旅行や短期留学ももっと気軽に手の届くところにありました。
さらに、本格的に国際線の運行を開始した全日空の航路と本数が増えて、日本から世界へのアクセスに大きな利便性が加わりました。
渡航費用と為替レート
2000年代の海外への渡航費用は、80年代から比べると「びっくりするほど」お手頃でした。
「ロンドン往復6万円」、なんていう広告もよく見かけたように記憶しています。
しかも、ヨーロッパも北米も、滞在費用が今よりずっとずっと安かったんですよ。
為替レートをみると、80年代にはイギリスポンドが500円から300円という高値だったのに比べて2000年代には200円を切るという感じ。
アメリカドルも110円くらいをウロウロしていたので、日本人としてはお手頃な感覚だったと思います。
2000年代の在外日本人の暮らし
日本との通信
2000年代に入った頃は、まだダイアルアップで接続していたインターネットも、ADSLや光回線が普及して使い心地がアップしました。
もうこの頃には海外と日本のやりとりはほぼメール。
エアメールやら航空書簡なども、滅多に使わない通信ツールになっていました。
2000年代後半では、スカイプ経由でのビデオ通話も一般的に…。
国際電話に大金を使っていた頃が遥か遠い昔のようでした。
食生活
フランス地方都市で暮らし始めたのが2000年代後半なのですが、アジア食品店に行けばお醤油やとんかつソースくらいは買えました。
それでも、きちんと日本食材を揃えようと思うと、やはりパリまで行かないと難しかったですね。
日本食がとても人気で、正統な日本料理店のほか、ちょっと不思議な日本料理を出す「なんちゃって和食店」もあちこちで見かけました。
地方でも「日本料理と銘打てばお客が集まる」ということで、中国系やベトナム系の移民の人たちが気軽に和食店をオープンしていたのもこの頃のこと。
文化・習慣
少なくとも表面的には、海外で「日本は高く評価されている」と感じることが多かったです。
「日本に行くのが夢」「日本に行ったけど最高だった」という人にもたくさん出会いました。
また、フランスでは日本の漫画が人気を博し始めていて、漫画専門店もできていました(もちろん、フランス語に訳したものです)。
それと同時に日本語を学びたいという人も増えていったようです。
日本のテレビ番組や映画が観たいという時は、日本語衛星放送に契約するか、日本からDVDを送ってもらうというのが一般的でした。
なかには、日本にサーバーを置いてインターネット経由で日本のテレビ番組を見ているという人も。
日本の側から見たら、
「わざわざ海外に住んでいるのになぜ日本の番組?」
と思われるかもしれませんよね。
海外在住日本人のみんなが「その地に住みたくて住みたくてやってきた」という人ばかりではないし、アウェー生活は意外にストレスがたまるものなんです。
ちょっとした息抜きに、やはり日本のバラエティーやドラマや映画で癒されたいと願う人は本当に多いんですよ。
それから子育て世代の多くは、海外に住んでも子どもたちに日本を学ばせたいと願うもの。
幼児向け番組やアニメは子育て世帯には必要不可欠な育児ツールでもあるんです。
日本との心理的距離
日本がまだまだ経済的に元気だったので、海外に暮らす日本人としては「日本人であること」を心強く感じていました。
また、ネットですぐに家族や友達とつながれること、航空券もさほど高くなかったことから、日本との心理的距離は決して遠くなかったですよ。
「いざとなったらサクッと日本に帰ってこよう」が、可能だったんです。
海外生活、2010年代はこうなった!
2010年代といえば、モバイル時代。
スマートフォンが登場し、暮らしとインターネットは切っても切れない存在になりました。
「日本の携帯電話だから、海外では使えない」という時代から、SIMカードを切り替えれば外国の街でも日本にいるのと同じように、メールのやり取りをしたりネット検索をしたり普通にできるようになりました。
SNSを使うのも当たり前になり、さまざまな情報をすぐに得られるようにも。
日本からの海外アクセス
2010年代も引き続き、日本と海外の行き来は割と簡単な時代。
インターネット環境が整ったことで、ノートパソコン一つ持って海外を旅しながら仕事する「ノマドワーカー」も登場しましたよね。
航空料金も、それほど高くなく、日本と海外の空のアクセスも安定していました。
渡航費用と為替レート
日本円が強かったので、留学や旅行で海外を訪れる人にはメリットがあったと思います。
でも逆に、海外で収入を得ている人が日本に帰省すると「高いな…」と感じることも。
渡航費用は、あくまで感覚としてですが、先述の通りリーズナブルでした。
為替レートは、対ユーロで130 – 140円台。
2023年の円安と比べれば、ぐっとお得な感じですよね。
2010年代の在外日本人を取り巻く環境
2010年代といえば、東日本大震災と福島原子力発電所の事故が、在外日本人にとっても大きな出来事でした。
フランスでも大きなニュースとして報道され、連日流れてくるニュースにただただ日本を思って不安になるばかりでしたね。
「日本は危ない」「日本の食材は放射能に汚染されている」といわれ、実際に日本からの食品の輸入が止まってしまった時期もありました。
日本食品店の棚がガラガラになっていたりして、なんとなく海外で生きることが不安に…。
2010年代の在外日本人の暮らし
日本との通信
スマートフォン、タブレット、PC。
通信ツールが「電話と手紙」からはずいぶん変わりました。
昭和の子が
「未来の世界ではテレビ電話で外国の人と顔を見ながら話ができる!」
と未来予測したことが本当になりましたよね。
インターネットの速度も向上し、街中のカフェやホテル、駅や図書館ではフリーのWi-Fiも使えるようになり、「どこに行くにも何をするにも、ネットと共に」の時代となりました。
日本との通信も、スマートフォンやPCからのビデオ通話やメールやSNS。
遠く離れた友達とのグループチャットで、常に近況を知らせあえます。
自分が海外で最初に暮らした80年代とは、まさに「隔世の感」。
食生活
こちらもずいぶん変わりました。
まず、ネット通販の普及のおかげで、海外の田舎にいても調味料やインスタント食品などが簡単に手に入るように…。
そして、日本文化や日本食が広く浸透するにつれて、スーパーでもちょっとした日本食材が販売されるようになりました。
有機食材店にいけば、お豆腐やうどんやそば、にがり、おからなどの「いかにも健康に良さそう」な食品が売られています。
日本料理店も、その範囲を広げていて、天ぷらや寿司、鉄板焼きなどの「ハレのメニュー」から、うどんやラーメンやおにぎり、ベーカリーに和菓子店など、高級店から大衆向けまで幅広く日本の味を展開しています。
文化・習慣
漫画好きが多いフランスでは、日本のコミックがフランス語に翻訳されて数多く出版されています。
アニメファンも多いので、日本のアニメ映画はもちろんのこと、数々の日本映画も上映されるようになってきました。
若い世代では、「日本好き」が一つのファッションのようでもあり、大学や語学学校では日本語が人気科目のひとつに。
また、ビデオ・オン・デマンドが普及し始めたおかげで、幅広い映像作品を海外からも見られるようになりました。
日本との心理的距離
2011年3月の東日本大震災に続く福島第一原発の事故の影響で、いったんは日本がとても遠く感じました。
それでも、徐々に不安な気持ちがやわらいでくると、さらに便利になったネット社会のおかげで日本は決して遠い国ではない、という意識が戻ってきたのを覚えています。
2020年までは…。
海外生活、2020年代はどうなる?
不安の時代到来
2020年1月、未知の新型ウィルスが世界に広がり始めましたよね。
最初は、
「この前のSARSの時も、大きな不安を煽られただけで、それほど影響ないままフェードアウトしたよね。今回もすぐに収まるでしょう」
とみんな思っていたはず。
ところが、日を追うにしたがって状況がどんどん深刻になっていきました。
「外出自粛」から「外出禁止令」「休校」など、それまで体験したことのない政府措置が取られ、許可証なしに1キロ以上の移動はできない状態に。
街中もスーパー以外のあらゆる商店が休業になり、本当に不安でしたね。
服を買えない、髪を切りにいけない、コンタクトレンズが買えない、マスクはどこにも売っていない…など、戦争を経験したことのない世代にはショックでした。
日本に帰りたくても、国際線は減便され、厳しい入国制限措置がとられました。
帰り着いたはいいけれど、空港から強制的に隔離ホテルに連れて行かれて、そこで数日カンヅメ生活になった人も多かったと思います。
私自身も、毎年の帰省はかかしませんでしたが、2020年と2021年は日本到着後に15日間の自主隔離をしました。
都内にアパートを借りての自主隔離は、経済的にも心理的にも大きな負担になったのを昨日のことのように思い出します。
国際線運賃の高騰
新型コロナウィルス騒ぎが落ち着いたと思ったら、戦争や紛争が相次ぎ、世界情勢が深刻な状況になりました。
そしてシベリアルートを使えなくなった国際線旅客機は、大きく迂回することを余儀なくされ、国際間移動に多大な影響を及ぼし続けています。
同時にガスや石油などの燃料価格の高騰を招き、航空券はまるで時代が40年くらい遡ったかのような価格になってしまいました。
各種規制で海外生活が不自由に逆戻り?
どんどん便利になったインターネット決済のリスクが大きくなり始め、2020年代に入って規制が厳しくなってきていますよね。
海外送金などが自由にできなくなってきています。
日本に住民登録のない海外在住者にとっては、海外から送金手配や振り込み手配が簡単にできなくなり、かなり不便に感じます。
安全性を高めるためとはいえ、サービス低下は深刻な問題。
ポジティブな側面はないの?
ビデオ・オン・デマンドの選択肢がぐんと広がり、日本のいろいろなテレビ番組や映画を楽しむことができるのはポジティブな側面。
日本の友達と、簡単にSNSで「今日のドラマ談義」ができるのは、海外ストレス軽減にとても役立っています。
また、電子書籍のおかげで、読みたい本をすぐに読めるようになったのもポジティブな話題かもしれません。
あとは…、まだわかりません。
2020年代も中盤ですが、これからどんな世の中が待っているのか、やはりちょっと不安。
でも、前を向いて頑張るしかないかな、と思います。
まとめ
海外での暮らしが生活の一部になって以来、「あの頃の当たり前」が「今ではありえない」に変わってきたなあとつくづく感じます。
自分の周りを観察してみても、便利になったものも多いですが、逆に不便になったりしたものもあります。また、不安要素も以前とは違ってきました。
一個人の視点での海外生活移り変わり、「ああ、あった、あった!」と笑っていただいて、懐かしく思っていただけましたらうれしいです。