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【イギリス80年代アナログ旅】国際線の旅行は超不便&驚きだらけ!

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海外旅行の飛行機。

いっとき「エコノミーでも快適」がトレンドでしたが、最近は航空会社のコスト削減が機内でもはっきりわかるようになりましたよね。

でも、ひと昔前は、もっともっとビックリするような状況だったんですよ!

 

こんにちは、まのん@ManonYoshinoです。

海外旅行がぐんと身近になった最近では、自由設計の旅はごくふつうのこと。パッケージツアーもいろいろな種類が揃っていて、選びきれないくらいですよね。

飛行機の予約だって、ネットで個人が自宅にいながら簡単にサクッと(いや、そうじゃないときもありますが)できる時代。座席だって予約時に決められるのが普通になりました。

ちょっと昔は、そんな現代からは想像できない不自由さや不便なことがありました。

 

80年代の「国際線びっくり」

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自身が、国際線の飛行機を利用するようになったのは、80年代半ばからです。今と比べるとびっくりすることが多いです。

ヨーロッパまでのルート

ヨーロッパへは主に「北回り」か「南回り」のルートで渡航していました。北回りルートは、日本から北極圏を経由してヨーロッパに向かうルート。アラスカのアンカレッジを経由していました。

南回りルートは、日本から東南アジア、南アジア、中東を経由してヨーロッパに向かうルートです。比較的安価だったので学生の旅行や、1年オープンの航空券を購入して語学留学等に使われていました。

また、ソ連のアエロフロートと日本航空(の一部の便)はモスクワ経由でヨーロッパ便を飛ばしていました。現在、ヨーロッパへの主要ルートであるシベリアルートです。

80年代のシベリアルート

80年代中頃のシベリアルートは、前述の通りモスクワ経由。

冷たい雰囲気の空港ロビーに、銃を持った兵士がいて怖かったですね。全体が薄暗く、トイレや食堂もなんとなく清潔感がなかったと記憶しています。トイレットペーパーが15センチ角ほどの「わら半紙」だったのがとても印象に残っています。

ちなみに、アエロフロートの機内、トイレットペーパーがないだけじゃなくて、手洗いの水が出ないトイレも。

南回りは体力勝負

南回りのルートも経験しました。

成田 ー 香港 ー バーレーン ー ロンドン。

香港までは元気でしたが、バーレーン以降は我慢大会のようなもの。本当に長い長い旅でしたね。しかも、当時、少なくともエコノミークラスは事前座席指定などなし。ぎゅうぎゅう詰めの機内でした。

機内での喫煙は当たり前

今では、全席禁煙が当たり前の飛行機の機内。空港だって、指定の喫煙所以外は完全禁煙ですよね。

離着陸時は禁煙でも、いったん飛行が安定すると(たぶん、シートベルト着用サインが消えるよりもずっと前に)喫煙オッケーだったんですよ。

一応、アエロフロート以外は喫煙席・禁煙席が分かれていましたが、後方の喫煙席で一斉にモクモクとタバコを吸い始めると、機内全体にタバコ臭と煙がただよいます。特に、禁煙席の最後部に座ってしまうと地獄でしたね。煙くて喉が痛くなる!

現在からでは想像できないですよね。

 

80年代の予約とチェックイン

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ちょっと前までは、国際線の予約とチェックインは今と比べてかなり不便でした。

ネットがなかった時代の海外旅行予約

ネット経由で個人で航空券を購入するのが珍しくない現在ですが、ちょっと前までは航空券の手配は旅行代理店経由でするのが普通でした。

格安チケットは、旅行情報誌などに掲載されている小さな旅行代理店に問い合わせていました。

携帯電話とかも一般には普及していなかった頃は、固定電話から代理店に電話してあれこれ注文をつけながら予約したものです(結構、会社のデスクからみんな私用電話してた時代)。

もしくは会社の昼休みや、終業後に代理店を直接おとずれて予約・購入していました。

機内の座席はその日の運次第

エコノミークラスは、基本、事前の座席指定ができなかったんです(代理店によってはしてくれるところもあった)。

どうしても通路側に座りたいとか、窓側じゃなくちゃ!という場合は、早めに空港に行ってチェックインするというのが普通の方法。

90年代後半から、各航空会社でエコノミークラスに若干座席をアップグレードした「プレミアムエコノミー」なるものを導入し始めました。その席であれば事前の座席指定が可能。ただ価格は導入当初、東京ロンドン往復25万円くらいで、お高めでした。

空港のチェックインは長蛇の列

チェックインも、オンラインチェックインが普及している現在。空港では、機内預け荷物だけカウンターに持って行って計量してもらい、クレームタグをもらいますよね。

これもちょっと前までは、全員、空港のチェックインカウンターに並びました。預け入れ荷物の超過料金などでモメる人がいたりすると、かなり長時間待つことになったりして。

特に、北米向けのフライトが多く出発する夕方の時間帯の国際線ターミナルは激混み。出国審査が長蛇の列で全く動かず、乗り遅れた経験もあります。

空港での混雑を避けるために、東京シティエアターミナル(TCAT)を利用していた時期もありました。チェックインもできるし機内預け荷物も預けられ、成田では出国審査で並ぶこともほとんどなく(専用ゲートがあった)、とっても便利だったんです。(現在は、アメリカ同時多発テロの影響を受けて、TCATでのチェックイン・預け入れはできなくなっています)

国際線で自由席

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「え、国際線なのに座席指定ないの?」と驚かれますよね。実際にあったんですよ。

飛行機の自由席、席の争奪戦

初海外のイギリス、トホホは他にもたくさんありましたが、あれれ?な体験ナンバー1は、国際線自由席

今でもあるんでしょうか。

LCC(格安航空会社)では、基本自由でゲート開き次第「座席争奪合戦」があるらしく、「機内エンターテイメントのひとつだ!」と皮肉られたりして。。。

以前(といってもかなり前)、フィンランドの国内線でヘルシンキ・ヴァンター空港から中部のクオピオまで乗った時も自由席でした。なんか、みんなで楽しく譲り合ったりしてのんきな雰囲気でしたね。

ありし日のソ連、アエロフロート体験

初めてのイギリス旅行、往復モスクワ経由のアエロフロート。ソ連時代のアエロフロートになぜ乗ったかについては、実は笑えない理由があります。

前期の英語3教科が、ともにものすごく成績が悪くて、後期(3月試験)の結果によっては「留年??」の懸念があったのです。試験の成績を確認してから予約の最終確認が可能だったのがアエロフロートだけだったんです。。。

だから、アエロフロートで、飛行機はソ連製イリューシン、翼にはCCCP(ソビエト社会主義共和国連邦のロシア語略称)。

座席番号のない搭乗券

ただでさえ、なんとなく緊張するモスクワ経由なのに、ヒースロー空港のチェックインカウンターで受け取った搭乗券には座席番号なし。

「なぜ?乗れないの?それとも、どこか日本じゃないところに連れて行かれるしるし?」

当時、ロンドンなどの衣類量販店で試着室に入ると、そこが秘密の抜け穴につながっていて、誘拐されて何処かに連れて行かれる、なんていう噂がまことしやかにささやかれていたことも。。。

ドキドキドキドキ。。。。

とりあえず出発ロビーで待っていたら、同じく成田に向かう日本人乗客も大勢いたので一安心。

さて、搭乗、全力ダッシュ!

で、、、搭乗開始のアナウンスがあった途端、出発ロビーで待っていた乗客がおもむろにゲートカウンターに向かって全速力。カウンターで係員に搭乗券を見せたのち、今度は飛行機の搭乗口までみなさん走る走る!

つられて一緒に走ってしまいましたが、走って正解。

だって、成田までモスクワ経由の長時間フライトなのに、自由席だったんですから。。。 飛行機に乗り込んでよくわかったのは、本気の早い者勝ちなんです。(途中、モスクワには寄ります)

さっさと乗らないと後方の喫煙席にすわらなくちゃいけないし、中央の席に座ることになって両側がスモーカーだったらとてもつらい12時間になるところでした。

(いや、そもそも、喫煙・禁煙の分煙すらなかったような気もしてきました。そう、たぶん、分煙されていない国際線だったような。。。)

まだJRの新幹線のほうが整列乗車で、きちんと順番を守って整然としている!

空港のセキュリティもまだまだ甘かった時代だから可能だったのかなあ。ほんと、アメリカ同時多発テロの前は、チェックゆるかったしね。

でも経由地のモスクワ・シェレメチボ空港では銃を持った兵士が立っていたりして、「ああ、ここはソ連なんだなあ」とものすごく緊張したのを覚えています。

まとめ

国際線の旅に関しては、10年単位で変わっているように思います。

  • 80年代は、いろんな意味で乗客側が不便を我慢していた時代。
  • 90年代、シベリアルートが一般化されてヨーロッパ直行便がつぎつぎに就航。機内サービスもそこそこ充実。
  • 2000年代、プレミアムエコノミークラスが導入され、事前の座席指定も一般的に。パーソナルTVがついて設備は向上する一方で、機内サービスの簡略が始まる。
  • 2010年代、オンラインチェックインやEチケットが浸透。

(超ざっくりと。。。)

80年代の、初海外の初国際線、いろいろな意味でかなりびっくりしました。さらに現在から当時を振り返ると、「喫煙フライト」など改めて時代を感じます。

今では想像できないほど、海外旅行は一大事で大げさで、おおらかで、そして何よりも不便だったなあと思います。

 

 

 

ABOUT ME
吉野まのん@英語生活
英語で暮らし、フランス語に悩み、日本語教育にも頭を抱えるヨーロッパ在住の昭和組。受験英語は超苦手だったのに「言葉としての英語」に惹かれ卒業後はイギリスに。カナダ・アメリカ・東京で長年働いたのち、ヨーロッパ移住。英語や外国語に関することや仕事のこと、外国生活のあれやこれやを発信中。

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